原田マハさんの『たゆたえども沈まず』を読んだのでレビューする。
原田マハさんの作品は『総理の夫』『スイート・ホーム』を読んだことがあるのだが、この2冊はあまり面白いと思えず、本作も全く期待せずに読みはじめた。それがびっくり。日本人画商とゴッホ兄弟の絆と美しい兄弟愛を描いた感動エンターテイメントで一気読みするほどおもしろかった。

ゴッホエアプの私でも楽しめた。
全人類に読んでほしい。
『たゆたえども沈まず』は、フィンセント・ファン・ゴッホを題材にした原田マハによるアートフィクション小説。
原田マハは、アートをテーマにした作品を多く書いていてルソーを題材にした『楽園のカンヴァス』ピカソを題材にした『暗幕のゲルニカ』、風神雷神図屏風を軸にした『風神雷神 Juppiter,Aeolus』、モネ、マティス、ドガ、セザンヌという4人の印象派の巨匠たちの短編集『ジヴェルニーの食卓』などがある。
『楽園のカンヴァス』は25年、『暗幕のゲルニカ』は35年考え続けて完成させたらしい。原田マハさんのアート愛は本物。
19世紀後半、栄華を極めるパリの美術界。画商・林忠正は助手の重吉と共に流暢な仏語で浮世絵を売り込んでいた。野心溢れる彼らの前に現れたのは日本に憧れる無名画家ゴッホと、兄を献身的に支える画商のテオ。その奇跡の出会いが”世界を変える一枚”を生んだ。 読み始めたら止まらない、孤高の男たちの矜持と愛が深く胸を打つアート・フィクション。
引用元
以下、ネタバレあります。未読の人は閲覧禁止。
みなさんご存知、オランダ生まれの有名画家フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ。
『ひまわり』『星月夜』『夜のカフェテラス』などが有名で、全7点ある『ひまわり』の1点は日本のSOMPO美術館にある。ちなみにSOMPO美術館はアジアで唯一『ひまわり』が見れる美術館である。
小説内での耳切り事件や拳銃自殺などはほぼ史実通り。
ゴッホの半生を語るのに欠かせないのが、ゴッホの実の弟であるテオドルス・ファン・ゴッホ。通称・テオ。
ゴッホの『耳切り事件』と『拳銃自殺』は有名なので知っていたが、ゴッホの死後まもなく弟さんまで亡くなることは知らなかった。
こういう史実を元にした作品は、結末が分かるので衝撃が薄れるが、テオについては知らないことの方が多く新鮮だった。

ゴッホエアプすぎてテオが画商のことは知らなかった。
ゴッホの弟・テオの友人となるのが、日本人画商・林忠政の部下である加納重吉。通称・シゲ。
シゲは完全オリジナルキャラクターで、実際のゴッホとテオは、日本の美術・芸術を欧米諸国に広く紹介したサミュエル・ビングから浮世絵を見せてもらうなどしていたそうだ。
ちなみにビングは本作には登場しないが、忠正の商売敵フレデリック・ノルデールがビングポジに成り代わっている。
シゲはオリキャラにも関わらず、テオの心の友になるだけではなく、耳切り事件の際はアルルまで赴き、ゴッホのお葬式にも参加している。なかなか大胆。
林忠政は、19世紀末にパリに本拠を置き、オランダ、ベルギー、ドイツ、イギリス、アメリカ合衆国、中国日本美術品を売り捌いた日本の美術商。
シゲと違って実在した人物で、1853年12月7日に富山県で生まれた。つまりフィンセントと同じ歳ということになる。
パリに渡った経緯や時期など、小説の中での出来事と史実はほぼ一致するが、林忠政とゴッホ兄弟に交流があったという事実は確認されていないそうだ。
ちなみに印象派の画家とは、エドゥアール・マネと交流があったらしい。

芥川や荻原朔太郎並みのイケメンを想像して読んだが、実際はフツメンだった。
アートに関心がない訳ではないけど、特別詳しい訳でもない私は、ゴッホといえば代表作より先に『耳切り事件』や『拳銃自殺』を思い浮かべる。
もちろん『ひまわり』や『星月夜』など彼の作品も好きなのだが、孤独に苦しんだ末に拳銃自殺するというゴッホのセンセーショナルな人生に惹きつけられた。
とはいえ、ゴッホについてはウィキペディアで軽く調べるくらいで、テオの死などはこの作品で初めて知った。『だゆたえずとも沈まず』は、ゴッホエアプにもゴッホの人生のすごさを改めて教えてくれる熱い作品だった。
ゴッホはおそらく統合失調症。小説ではあまり触れられていないが、フィンセントはテオに向けてひどい手紙を書いたり癇癪を起こしたり、この時代にSNSがあればとんでもないことをしでかしそうな勢いの狂いっぷりだった。
しかしフィンセントも好きで癇癪を起こしている訳ではない。フィンセントがテオに当たり散らしている時は彼も同じだけ苦しんでいたはずだ。
画家として自立したいのにうまくいかない歯痒さ、もがき苦しむゴッホの苦しさは痛いほど伝わってきた。きっと書いている原田さんも苦しかったと思う。

読了後にこんなに美術館に行きたくなった小説ははじめて。
ゴッホの死については、アートに詳しくない人でも知っている出来事だが、未確定な部分が多いパリ時代に盛大なフィクションを織り交ぜている点は原田マハさんの実力を感じた。
フィンセントとテオは離れて暮らしている時期、頻繁に手紙のやり取りをしていた。現在でも多数の手紙が残っていて、二人の手紙の内容から当時の様子は推測することができる。しかしフィンセントとテオが同棲していたパリ時代には手紙は残っておらず不明な点が多い。
そんな空白の時代にフィクション要素を織り交ぜることで、嘘っぽさが薄れリアリティを感じられた。「本当にこうだったかも」と思わせられる演出だった。
さらに日本人のオリキャラ重吉を絡ませることで、読者とゴッホ兄弟の距離が一気に縮まった。
重吉はスペックを並べるとかなりスゴい人物なのだが(フランス語が喋れる時点で秀才)、妙な親近感がある。パリに来てすぐで、アートについても詳しくなかったという点が読者と共通しているからかもしれない。馴染みのないフランスでの出来事は重吉を媒介して想像しやすいものに変わった。
書き手的には史実を元にした作品は難しいジャンルなんじゃないかと思う。読者は結末が分かっているので、展開で驚かせるには限界がある。本作でもほとんどの読者がゴッホの死を知っていただろう。それでも私はページをめくる手を緩められなかった。
原田マハの読ませる文章力はもちろんだが、林忠正の存在が大きい。
林忠正は、重吉と違って実在した人物だが、ゴッホ兄弟と交流があったかは証明されていない。上記でも書いたが、ゴッホ兄弟が浮世絵を借りていたのはユダヤ系ドイツ人の画商・サミュエル・ビングだ。
本作でのゴッホ兄弟と忠正の関係性は完全フィクションなのだが、忠正はゴッホの可能性にいち早く気づき実力を認め、ゴッホ兄弟は忠正に認められたがっていた。この熱い関係性が私のページをめくる手を緩めさせなかった。この結末に忠正はなんとコメントするのか?これが読書中の私の一番の関心だった。

ということで、原田マハさんはフィクションと現実の織り交ぜがうますぎる。
100点満点中 85点
私はもともと、史実を基にしたフィクションが大好物なのでかなり楽しめた。
史実と物語での出来事の相違点や一致点を探すのも楽しいし、作者がモデルになった人物をどう解釈しているのかを知るのも楽しい。
ゴッホ兄弟への原田マハさんの考察は私の解釈とほぼ一致。くすぶるフィンセントの苦しみと兄の実力を誰よりも認めているのに世間には認めてもらえないテオの歯痒さ。兄弟の思いは痛いほど伝わってきた。
現在ではゴッホの絵の価値は100億越え。結果的には世間がゴッホの絵に追いついていなかった訳だが、ゴッホの死があってこその値段のような気もする。
ゴッホの絵は真の孤独でなくては描けない。拳銃自殺したことでフィンセントの孤独は証明された。つまりゴッホは自らの命をも芸術に捧げた真のアーティスト。死によってゴッホの絵が完成した感まである。
ということで、『だゆたえずとも沈まず』は史実とフィクションを融合したアツい作品でした!

ゴッホ好きはもちろん、アートに詳しくない人にもおすすめ。
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